大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和39年(行コ)36号 判決

京都市中京区烏丸通竹屋町下る少将井町二三〇番地

控訴人(附帯被控訴人)

吉村肇

右訴訟代理人弁護士

坪倉一郎

京都市中京区柳馬場通二条下る等持町一五番地

被控訴人(附帯控訴人)

中京税務署長

藤原多八

右指定代理人

鎌田泰輝

前田昭夫

塩見澄夫

河口進

鬼束美彦

主文

一、原判決主文第二ないし第四項を次のとおり変更する。被控訴人が昭和三二年五月一五日控訴人に対し昭和三〇年分所得税につきその所得金額を七四万三五〇〇円とした決定のうち、五八万〇六五三円をこえる部分を取消す。

被控訴人が前同日控訴人に対し昭和三一年分所得税につきその所得金額を一二八万五三〇〇円とした決定のうち、一一四万四〇四八円をこえる部分を取消す。

控訴人のその余の請求を棄却する。

二、控訴人のその余の控訴及び被控訴人の附帯控訴を棄却する。

三、訴訟費用は第一、二審を通じこれを四分し、その三を控訴人の、その一を被控訴人の各負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消し本件を京都地方裁判所へ差戻す。」との判決、次に「原判決中控訴人敗訴部分を取消す。被控訴人が昭和三二年五月一五日控訴人に対し、昭和三〇年分所得税につきその所得金額を七四万三五〇〇円とした決定のうち六万九一〇〇円をこえる部分、前同日控訴人に対し、昭和三一年分所得税につきその所得金額を一二八万五三〇〇円とした決定のうち七万二一〇〇円をこえる部分、昭和三二年六月一四日控訴人に対し、昭和三二年分所得税につきその所得金額を一二八万五三〇〇円とした予定納税額通知のうち七万二一〇〇円をこえる部分を各取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決、及び附帯控訴につき主文第二項後段同旨の判決を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決、及び附帯控訴として「原判決中被控訴人敗訴部分を取消す。控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決を求めた。当事者双方の主張及び証拠の関係は、左記のほかは原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。

控訴人の主張

一、事業の概況及びその収入について

(一)控訴人は不動産取引業界の発展と顧客の便利のため、各不動産業者に対する客の仲介希望物件を集めて適当に組合せ、又は新聞広告等で広く通知するなどして不動産の需要供給の円滑をはかり、その取引の成立を促進しようと考え、昭和二七年一〇月京都の一流不動産業者一二九名の加盟をえて京都不動産紳商連盟(以下連盟という。)を結成した。連盟は右公共的性格からして、各加盟店から出資金もとらず、又取引成立の場合の手数料も取引金額の平均〇・二パーセントという少額であつて、欠損が相次ぎ、各加盟店との間の連絡や物件の広告等の連盟の仕事は、控訴人の妻秋子を業主とする京都不動産交換所(以下交換所という。)が代行し、その経費も大半控訴人や交換所が奉仕的に負担してきた。そして交換所のしていた仕事や広告の殆んどはこれら連盟のためのものであつて、交換所本来の不動産仲介業務又はこれによる広告は僅かしかなかつた。なお交換所が直接取扱つた物件について取引が成立した場合の仲介手数料は、当事者双方から取引金額の各五パートンを受取るのが原則であつたが、他の業者が仲介に加わつたときはこれが更に等分され又減額を要求されることもあつて、取扱金額の平均一・五パーセント程度であつた。

(二)  昭和三〇年から昭和三二年までの連盟及び交換所の収入、更にこのうち不動産仲介料の内訳は次のとおりである。

1  昭和三〇年

収入総額 一七万九〇〇〇円

電話加入権仲介料 一〇〇〇円

不動産仲介料 一七万八〇〇〇円

取扱件数 取扱金額 手数料

交換所 一四件 六〇五万円 九万七〇〇〇円

連盟 一二七件 四〇三〇万円 八万一〇〇〇円

2  昭和三一年

収入総額 三五万一五〇〇円

電話加入権仲介料 六〇〇〇円

不動産仲介料 三四万五五〇〇円

取扱件数 取扱金額 手数料

交換所 二三件 九三〇万円 一五万八〇〇〇円

連盟 二六五件 九三五〇万円 一八万七五〇〇円

3  昭和三二年

収入総額 五一万九五五〇円

電話加入権仲介料 一万〇五〇〇円

不動産仲介料 五〇万九〇五〇円(預金利子等四万〇三四一円を含む)

取扱件数 取扱金額 手数料

交換所 二六件 九二〇万円 一九万五六五九円

連盟 二三五件 一億三六二〇万円 二七万三〇五〇円

(三)  右各年度の必要経費は左記のとおりである。

1  昭和三〇年

総額 一〇万九九〇〇円

広告費 三万七四〇〇円、家賃一万九二〇〇円

電話通信費 八六〇〇円、交通費六七〇〇円、

雇人費 三万八〇〇〇円。

2  昭和三一年

総額 二七万九四〇〇円

広告費 一一万三〇〇〇円、家賃一万九二〇〇円

電話通信費 二万六五〇〇円、交通費一万三二〇〇円

雇人費 一〇万七五〇〇円。

3  昭和三二年

総額 四五万〇五〇〇円

広告費 一八万六四〇〇円、家賃二万八三八〇円

電話通信費 三万四四三六円、交通費二万三三〇〇円

雇人費 一三万七五〇〇円

パンフレツト印刷費 一万九六〇〇円、雑費二万〇八八四円。

(四)  従つて前記収入総額から経費を差引いた純収入金額は次のとおりとなる。

1  昭和三〇年 六万九一〇〇円

2  昭和三一年 七万二一〇〇円

3  昭和三二年 六万九〇五〇円

二、控訴人の生計費について

(一)  まず右生計費について被控訴人の根拠とした総理府統計局の家計調査報告は、京都市内全世帯の平均値を記載したものであるが、これとは別に各種職業別の支出計数を記載した家計調査年報が同局から発行されているところ、控訴人は右記載の商人に該当するから、本件は右年報の商人世帯欄によるべきである。

(二)  被控訴人主張金額(原判決添付一覧表C欄記載の金額)は過大である。

1  電気、ガス、水道料金

当時控訴人方階下には後記のとおり交換所と安田工務店の各事務所があつて、右事務所使用灯数三四に対し階上の住宅使用灯数は三であり、更に事務所では冬期に電気ストーブ、夏期に扇風機二台が使用されていた。次にガスの使用口数は階下事務所、階上住宅各二であるが、事務所には他にガスストーブが設置されていた。又水道使用口数は階下事務所三、階上住宅一であり、右事務所の分はその入口や表道路への放水等で特にその使用量が多かつた。従つて以上各料金のち控訴人一家の生活うに要した分は被控訴人主張金額の少くとも四分の一、即ち昭和三〇年の電気ガス料金は四七一七円、水道料金は四八四円、昭和三一年の電気ガス料金は五五三三円、水道料金は六八三円とすべきである。

2  家賃

月額三二〇〇円(年額三万八四〇〇円)の半額は安田が負担する約束であり、残額のうち交換所の事務所と住宅の割合は七対三であるから、結局住宅部分の家賃比率は全体の二〇分の三、即ち昭和三〇年及び三一年とも各年額五七六〇円となる。

3  学校教育費

長女、二女はそれぞれアルバイトをして自らの学費を賄つていたもので、控訴人がこれを支出したことはなかつた。なお三女についての控訴人の支出額が被控訴人主張のとおりであることは認める。従つてこの点の支出は昭和三〇年は二〇九四円、昭和三一年は五五四三円である。

(三)  なお控訴人は以上事業経費や生活費等を、過去に控訴人が和歌、俳句、詩歌等の出版や講座、及び化粧品、小間物業者等の業界新聞の発行をして貯えていた手持資金、又は蔵書の売却等による金員で補つていたもので、これらすべてを前掲連盟等の収入で賄つていたわけではない。

三、吉田弥寿子からの不動産購入費及び滋賀銀行丸太町支店の預金について

(一)  昭和二三年一月七日控訴人の妻秋子と安田清之助との間で、当時控訴人が吉田弥寿子から賃借使用していた控訴人方家屋の階下一〇坪を什器備品付のまま安田の経営する工務店の事務所として一〇年間使用させること、安田は右使用期間中同事務所の留守番等も兼ねる秋子に月五〇〇〇円の給料を支払うほか、同家屋の家賃その他電話料等の諸経費の半額を負担支払うこと、右支払は前記貸借解消のときとし、又右電話等の使用料金の額は貸借解消前一年間の料金の半額に安田の使用年数を乗じた金額とすることの約束ができた。そして安田は前記貸借の保証金として昭和二七年一二月一〇日一三五万円、昭和三一年一月一五日三五万円をそれぞれ秋子に交付したが、控訴人、秋子、安田の相談の結果、これを右三者が共同で使用する前記控訴人方家屋等の購入費用にあてることにしたものである。

(二)  昭和三二年四月二三日引出しの前記預金一一三万円は、後記顧客からの預り金であつて、控訴人は委託をうけた取引の不成立又は解約のため、同月二五日株式会社京都プラスチツク工業所に二〇万円、同月二八日大木泰太郎に八〇万円、同年五月二〇日和田信次郎に七万円をそれぞれ返還し、残余を交換所の収入とした。

四、控訴人は以上事案の性質にかんがみ、その審級の利益保持の観点から本件についてまず差戻の判決を求める。なお乙第二一号証、第二二号証の一ないし三、第二三号証の一、二は特機におくれて提出され訴訟の完結を遅延させるものであるから、却下されるべきである。

被控訴人の主張

一、控訴人は連盟や交換所の名で自ら不動産等の仲介業務を行つていたもので、右連盟なるものは控訴人がその収入を過少に作為するために案出した名称にすぎず、その仲介手数料が取扱金額の僅か〇二パーセント平均であるとの控訴人の主張は全く常識に反する。又交換所扱い分についても、控訴人は昭和三〇年に売主八木宣雄、買主嶋田徹丸の取扱金額一四〇万円の一件だけで右買主から取扱金額の五パーセントに相当する七万円の仲介手数料を得(乙第二一号証)昭和三一年には売主上村範重、買主中島貢の取扱金額六三万円の一件だけで右売主から三万円、買主から三万一五〇〇円とそれぞれ取扱金額の約五パーセントに相当する仲介手数料を得ているのであり(乙第二二号証の一ないし三)、更に昭和三二年分の電話加入権仲介についても少くとも三万五〇〇〇円の収入を得ている(乙第二三号証の一、二)のであつて、これら事例からみても控訴人主張の手数料収入額は到底信用することができない。

二、滋賀銀行丸太町支店に対する控訴人の預金入金額は、昭和三〇年分が一〇六万八五七八円(内預金利息三五七八円)、昭和三一年分が六二一万五三三三円(内預金利息八三七五円)であるところ、この中には被控訴人主張一掲配の不動産仲介による手数料七万円や六万一五〇〇円がそれぞれ含まれていること、控訴人主張三(二)掲記の預り金返還の事実があつたとしても、その預つた時期は昭和三二年二月頃以後であること、前記昭和三〇年及び三一年の預金はいずれも引出金額が小口で、入金と出金との間に見合う金額もないことなどからして、右両年の入金は控訴人のいうような他からの預り金でなく、控訴人の事業による収入金とみるべきである。従つて右両年における控訴人の所得は前記入金額(預金利息を控除したもの)から控訴人主張一(三)掲記の必要経費を差引いたもの、即ち昭和三〇年分が九五万五一〇〇円、昭和三一年分が五九二万七五五八円となる。又昭和三一年分の所得について、昭和三〇年分の収入金の一〇六万五〇〇〇円を、控訴人主張一(二)掲記の不動産仲介取扱合計金額である昭和三〇年分四六三五万円、昭和三一年分一億〇二八〇万円の割合で算出した二三六万二〇〇〇円に、同掲記の電話加入権仲介料六〇〇〇円を加え、前記必要経費二七万九四〇〇円を差引くと、二〇八万八六〇〇円となり、以上いずれも被控訴人のなした本件決定金額を上廻る。

三、更に控訴人がその不動産仲介について各取扱金額の少くとも五パーセントの手数料を取得していたことは、被控訴人主張一掲記の事実からも認められるところ、その不動産仲介取扱金額は前記のとおり昭和三〇年分が四六三五万円、昭和三一年分が一億〇二八〇万円というのであるから、右手数料の額はその五パーセントとしても二三一万七五〇〇円と五一四万円となり、これに控訴人主張一(二)(三)掲記の電話加入権仲介料及び必要経費を加除すると、その所得は昭和三〇年分が二二〇万八六〇〇円、昭和三一年分が四八六万六六〇〇円となり、これも被控訴人の決定金額を上廻る。

四、なお、控訴人の生計費について、控訴人主張二(一)掲記の家計調査年報は都市別のものではないから、これによることは相当でなく、又一般に家計の総支出はその中に占める光熱費や住居費の割合の大小に拘らず、これに比例して増減する関係にあるから、被控訴人主張の費目をもつて全体の支出を推計することは合理性があるというべきである。

証拠

控訴代理人は甲第二五号証の一(原審で提出した甲第二五号証は第二五号証の二と訂正)、第二六号証の一、二、第二七号証の一ないし一八、第二八号証の一ないし一二、第二九号証の一ないし五、第三〇号証ないし第三三号証、第三四号証の一、二、第三五号証の一ないし三、第三六号証の一、二、第三八、第三九号証の各一、二、第四〇号証ないし第四五号証、第四六号証の一、二、第四七号証ないし第五〇号証、第五一号証の一、二、第五二号証の一ないし三、第五三号証、検甲第一号証の一ないし四、第二号証の一ないし五、第三号証の一ないし三を提出し、当審での証人片又利雄、末松外治、大木泰太郎、和田重太郎、安田清之助、田中栄一、神部景三、和田信次郎、板野政子、吉村秋子(第一、二回)の各証言、控訴人本人尋問の結果を援用し、乙第一六号証、第一八、第一九号証、第五四号証の一、二、第五五、第五六号証は成立を認める。第五七号証は官署作成部分の成立を認めその余は不知、その余の後記乙号証はいずれも不知と述べた。

被控訴代理人は乙第一六号証ないし第二一号証、第二二号証の一ないし三、第二三号証の一、二、第二四号証、第二五、第二六号証の各一、二、第二七号証の一ないし三、第二八号証ないし第四六号証の各一、二、第四七号証の一ないし三、第四八号証ないし第五〇号証の各一、二、第五一号証の一ないし三、第五二号証の一、二、第五四号証の一、二、第五五号証ないし第五七号証を提出し、当審での証人大友茂雄、奥村浅子、塩崎寿弥、山田俊郎、辻倉幸三の各証言を援用し、甲第二六号証の一、二、第二七号証の一ないし一八、第二八号証の一ないし一二、第二九号証の一ないし五、第三〇号証、第三二、第三三号証、第三六号証の一、二、第四三号証ないし第四五号証、第五〇号証、第五一号証の一、二、第五三号証、検甲第一号証の一ないし四は成立を認める、第二五号証の一は官署作成部分の成立を認めその余は不知、第四六号証の一、二は京都府関係その他官署作成部分の成立を認めその余は不知、その余の前記甲号各証及び検甲号各証はいずれも不知と述べた。

理由

原判決事実摘示第二の一掲記の事実は当事者間に争いがない。

控訴人の本訴請求中、昭和三二年分所得税予定納税額通知の取消を求める部分は、右通知が、所得税法(昭和二二年法律第二七号)二一条、二一条の二、二一条の四により、納税義務者の便宜や徴税事務の簡易化等のため前年分の所得金額を一応その年分の所得金額として、これに対する同年分の所得税の税額から計数的に算出した予定納税額を納税義務者に知らせる単純な通知行為であつて、法律効果を伴う納税告知でなく、納税義務者は予め減額の承認をうけることなどによつてその所得金額を前年の実績によることの不判益を避け、更に事後に最終的な税額の決定を争うことができるのであるから、前記通知が所謂課税処分であることを前提としてその一部取消を求める控訴人の訴は不適法として却下を免れない。

そこで昭和三〇年分及び三一年分の各所得税に関する所得金額決定に対する本件取消請求の当否について検討する。

一、控訴人の事業及びその所得を推計により算出することの可否について

成立に争いのない乙第一五号証、当審での証人片又利雄の証言から成立の認められる甲第二二号証、当審での証人の末松外治の証言から成立の認められる甲第二三号証、当審での証人大木泰太郎の証言から成立の認められる甲第二四号証、当審での証人和田重太郎の証言から成立の認められる甲第二五号証の一、二(一のうち官署作成部分の成立は争いない)、当審での証人吉村秋子(第二回)の証言から成立の認められる甲第四六号証の一、二(官公署作成部分の成立は争いない)、第四八号証、当審での証人山田俊郎の証言から成立の認められる乙第二一号証、第二二号証の一ないし三、第二三号証の一、二(本件訴訟の経過に照らすと、右乙号各証の提出は、被控訴人の故意又は、重大な過失により時機におくれてなされ訴訟の完結を遅延させるものといえないから、同号証に対する控訴人の却下の申立は採用できない。)、原審での証人清岡修、遠藤伊三務、当審での証人吉村秋子(第一、二回、一部)の各証言、原審及び当審での控訴人本人尋問の結果(一部)及び弁論の全趣旨を総合すると、控訴人は昭和二七年八月頃から肩書住居家屋の階下を事務所とし、妻秋子名義で登録された交換所の実質上の経営主体として、その名称で不動産や電話加入権の売買等の仲介をする一方、不動産業者を対象にその取引委託物件の紹介をして手数料をうけることを目的とする連盟なるものをつくつて、その仕事も前記交換所の事務所であわせ行つていたこと、右営業の収支について、控訴人はこれを明確に記載した帳簿を整備せず、収税官吏の調査に対してもその計算の基礎となる資料の提示や誠実な応答がなかつたことが認められる。当審での証人辻倉幸三の証言から成立の認められる乙第二四号証、第二五、第二六号証の各一、二、第二七号証の一ないし三、第二八号証ないし第四六号証の各一、二、第四七号証の一ないし三、第四八号証ないし第五〇号証の各一、二、第五一号証の一ないし三、第五二号証の一、二、及び同証言によつても右認定を覆えすに足らず、原審及び当審での証人安田清之助、当審での証人吉村秋子(第一、二回)の各証言、原審及び当審での控訴人本人尋問の結果中前認定に反する部分は信用できない。そして本件訴訟においても控訴人からその主張の所得金額等について、これが正当であることを認めるに足る基礎資料の提出がないから、右金額は合理的方法によつてこれを推計するほかはない。

二、推計の方法について

前出乙第二一号証、第二二号証の一ないし三、官署作成部分の成立に争いなく当審での証人山田俊郎の証言に照らし当裁判所においてその余の部分の成立を認める乙第五七号証、及び同証言によると、控訴人を預金者とする滋賀銀行丸太町支店普通預金口座(控訴人がその通称である吉村繁山名義で右預金口座をもつていたことは当事者間に争いがない)の昭和三〇年分及び三一年分の入金額がそれぞれ被控訴人主張のとおり、又右入金中には控訴人の叙上営業による仲介手数料等の収入金が含まれているが認められ、原審での控訴人本人尋問の結果中認定に反する部分は信用できない。しかし一般に銀行預金は事業上の収益金だけでなく、一時預り金や借入金等も入金するのが通常であり、前出甲第二四号証、乙第五七号証、当審での証人大木泰太郎、吉村秋子(第一、二回)の各証言、原審及び当審での控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人は昭和三二年以前においても、不動産の買付等の委託をうけた場合、売買成立の時の手付金等にあてるために客から預つた金員を一時前記口座に預金するようなこともあつた(又控訴人はこれを控訴人の被告吉村秋子名義の予金口座に予金することもあつた。)ことが窺われるから、他に特段の主張立証のない本件において直ちに前記口座入金額の全部が控訴人の叙上営業による昭和三〇年分及び昭和三一年分の収入金と推定することはできない。次に控訴人主張の不動産仲介取扱高等の裏付資料等は皆無であるばかりでなく、前出乙第二一号証、第二二号証の一ないし三、成立に争いのない乙第五四号証の一、二によつても、前出甲第四八号証、当審での証人吉村秋子(第一、二回)の証言、原審及び当審での控訴人本人尋問の結果に照らし、取引成立の場合に控訴人が連盟や交換所としてうける手数料の額が、すべて各その取扱金額の五パーセント以上であるとすることはできない。従つて控訴人の所得金額を被控訴人の当審主張二、三の方法で算出することは相当でない。よつて本件においては所謂資産増減法によりこれを推計することとする。

三、控訴人の資産の増加について

控訴人の前記預金口座の在高が昭和三〇年期首は七五五円同期末は二六万四三三三円、昭和三一年期末は一〇六万九六六六円であつて、昭和三〇年中の右増加額が二六万三五七八円、昭和三一年中の同増加額が八〇万五三三三円であることは当事者間に争いがない。そして右預金中には、特段の事情のないかぎり(もつとも前述のように控訴人の受領した預り金の一部は妻秋子名義で預金されていた)、控訴人の叙上営業による収入金のほか、客からの預り金も包含されていたとみられることは既に述べたとおりであるが、これら預り金はその性質上、及び前出甲第二二号証ないし第二四号証、第二五号証の一、二、乙第五七号証、当審での証人片又利雄、末松外治、大木泰太郎、和田重太郎、和田信次郎の各証言からして、ごく短期間のうちに出金返戻されるばかりでなく、預り金と返戻される金員とは同額であつて差引零となるものと考えられるから、別段の反証がない以上、一年間を通じての前記増加額自体は、預り金の出入りにかかわらず変動はなく、控訴人の収入に属するものとみるのが相当である。(なお右各証拠から認められる預り金の何割が前記口座に預金されたか、更に当事者間に争いのない昭和三二年四月二三日右預金から引出された一一三万円がこれら預り金の返還にあてられたか否かは、原審及び当審での控訴人本人尋問の結果中この点の部分がたやすく信用できず三証拠上確認し難いものがある((前記甲第二二号証、証人片又利雄の証言によつて認められる控訴人が昭和三二年三月一八日片又利雄から受取つた預り金六〇万円が前記口座に予金されていないことは前記乙第五七号証に照らし明らかである。))が、仮りに右預金の事実が認められるとしても、その時期は昭和三二年一月以後であることが前掲各証拠から明らかである。)又成立に争いのない乙第一二号証、第一三号証の一ないし四、第一四号証、原審での証人吉田得三の証言から成立の認められる乙第一一号証、同証言によると、控訴人は昭和三二年五月一六日賃借中の肩書住居家屋、同敷地、及び隣接土地家屋を所有者吉田弥寿子から代金一四〇万円で買受け、同日代金全額を支払い、妻秋子名義でその所有権移転請求権保全仮登記をした上、同年九月一〇日株式会社大阪不動産交換所(同年六月八日設立、代表取締役控訴人。)名義の所有権取得登記手続をしたことが認められ、原審及び当審での証人安田清之助、当審での証人吉村秋子(第一、二回)の各証言、原審及び当審での控訴人本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用できない。そして控訴人は右代金は叙上控訴人方住居家屋の一部を転借使用していた安田清之助の保証金から支払つた旨主張するところ、前出甲第四八号証、神部景三の証言から成立の認められる甲第四九号証、原審当審での証人及び当審での証人安田清之助、当審での証人吉村秋子(第一、二回)の各証言、当審での控訴人本人尋問の結果によると、安田は左官を職業とするもので、控訴人方に出入りしてその取扱う不動産の紹介や修理等をしたりし、控訴人の事務所をこれら業務連絡の場所にしていたことが認められるけれども、その他右各供述中控訴人主張の転貸借や保証金交付に関する部分は、そのいう貸借部分にくいちがいがあり、賃料等の支払の方法が不自然である上、客からの預り金を銀行預金していたのに安田からの高額の預り金は預り証も渡さず多年事務所に保管していたとするなど、不可解なところが多く、当審で始めて提出された甲第五二号証の一ないし三についても、吉村秋子は前記第一回証言で安田との間に契約書等の書類はつくらなかつた旨述べながら(安田清之助も原審で同趣旨の供述をする)、その第二回証言では甲第五二号証の二、三を安田の依頼で作成した旨供述しているのであつて、これら各号証の成立及びその記載内容には多分の疑問があり、更に当審での証人奥村浅子の証言から成立の認められる乙第二〇号証、同証言及び当審での証人田中栄一の証言を対比考察すると、前掲各供述や甲号証の記載はいずれもたやすく信用することができず、他に控訴人の前記主張を認めるに足る的確な証拠がない。控訴人は又過去に出版等の事業を貯えた貸金や蔵書の売却等による別収入があつた旨主張しているが、その真否はさておき、これを前記口座に預金したり不動産買受代金にあてていたことの主張立証はない。そして以上の諸事実からすると、少くとも前掲預金増加分はそれぞれその年における控訴人の営業による資産増加額とするのが相当である。

四、生計費について

控訴人の家族関係、総理府統計局の家計調査報告による昭和三〇年、三一年の京都市民の一世帯一ケ月平均の消費支出総額及びその内容、これを控訴人と同じ五人家族の年額に換算した場合の金額、右両年における控訴人方の電気、ガス、水道料金、家賃、学校教育費についての当裁判所の判断は、原判決一六枚目裏二行目から一八枚目裏九行目の「これに反する証拠はない」までと同一であるから、これを引用する(但し一八枚目表八行目の「なるが「を「なる。」として以下一八枚目裏一行目までを削る。なお前記引用部分の末尾に「(三女美保子の学校教育費の点は当事者間に争いがない)」を加える。)。右控訴人方の電気、ガス、水道料金及び家賃はそれぞれ前記京都市民の平均支出額を上廻るところ、安田との事務所転貸借契約に基づく同人の経費分担に関する控訴人の主張が採用し難いことは既に述べたところから明らかであるけれども、他方控訴人は前掲住居家屋の階下を事業の用に供していたのであるから、これに必要な分は本件事業所得の計算上控除されねばならない。しかし成立に争いのない甲第三二号証、その体裁及び記載内容からして当裁判所において真正に作成されたものと認める甲第三一号証、当審での証人吉村秋子(第一、二回)の証言、原審及び当審での控訴人本人尋問の結果その他控訴人の提出援用する各証拠によつても、前記事業遂行に必要な分と控訴人方家族の生活に使用した分との区別はつけ難く、次に控訴人の長女及び二女が当時アルバイトをしていたことは成立に争いのない甲第三三号証及び前記各供述から肯認できるとしても、長女は兎も角二女までその学費全部を自らの収入で賄つていたとの点は、勤務先その他何らの裏付資料のない本件においてにわかに容認することができない。そして以上認定の諸点特に既述のような控訴人の不動産購入、更に当審での証人吉村秋子(第一回)の証言及び原審での控訴人本人尋問の結果中、控訴人及びその妻が当時の生活費を月二万円から二万五〇〇〇円位と供述していること、更に原審での証人清岡修、安田清之助の各証言等を総合して、前記各項目を含む控訴人方の生計費は前記京都市民の平均消費支出額と同等と推定する。控訴人主張の総理府統計局の家計調査年報(成立に争いのない甲第四三、第四四号証、乙第一八、第一九号証)は都市別のものでないから、これを基準とするのは適当でない。又当審での証人吉村秋子(第一、二回)の証言、原審及び当審での控訴人本人尋問の結果によると、控訴人がもと和歌俳句等の出版や小間物等の業界新聞の発行に関係のあつたことが認められるけれども、その貯えや蔵書の売却金等で生計費を賄つていたとの控訴人の主張は、前出甲第四六号証の一、二及び右各供述中これにそう趣旨の部分が、そのいうような資金や蔵書の存在を首肯させるに足る資料や説明もなく信用し難いことからして、排斥を免れない。以上の次第で、控訴人は叙上営業によるその年分の収入から昭和三〇年中に三一万七〇七五円、昭和三一年中に三三万八七一五円の生計費を支出したと推定するのが相当であり、これを覆えすに足りる証拠はない。

そうすると控訴人の所得額は前記資産増加額と生計費の合計金額、即ち昭和三〇年分は五八万〇六五三円、昭和三一年分は一一四万四〇四八円となるから、右両年度の所得金額決定の一部取消を求める控訴人の請求は、右金額をこえる部分について理由があるがその余は失当として棄却を免れない。

よつて原判決中昭和三〇年及び三一年分の所得額決定に関する部分を右のとおりに変更し、昭和三二年分の予定納税額通知の一部取消を求める訴を却下した部分は正当であるからこれに対する控訴を棄却し、被控訴人の本件附帯控訴は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条八九条九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山内敏彦 裁判官 黒川正昭 裁判官 金田育三)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例